気付き、変わっていく性教育。日本思春期学会参加②
これからの性教育は、性のポジティブな面も語る?>
北村先生が後半に「今、若者たちの性に対する意識や行動が下がっているのは、今までの性教育の内容が性に対して否定的なイメージをつくり出すものだったのかもしれない」というような事を述べていました。
同感です。この言葉は私の中で大変大きく、これからの性教育の風向きに期待を持つことができた一言でした。ただ、性に対してポジティブな教育を受けていない大人たちは、ポジティブな性の伝え方を知らないため、かなり高いハードルが掲げられたように感じたと思います。
以前、性科学者のミルトン・ダイアモンド先生に「日本の性をポジティブにするためにどうすればいいか」というような質問をした際に、「今の性教育は、子どもたちに快楽や楽しみを教えていない。“pleasure”という教え方をしていない。こうしなければならないというのではなく、性が気持ち良いものでなければ、私たちはセックスをしてこなかったはず」というご指摘をいただきました。
大人たちは性のネガティブな面もポジティブな面も多々知っています。しかしそれを伝えていいのか、どのように伝えるか、分からないだけ。けれど、ここまでくれば、それを見つけていくのが今後の鍵になってくるかもしれないと気付くはずです。
どう伝えたらいいのか、どう教えてほしいのか模索の日々です。幸せな恋愛やセックス、結婚をしてほしいなら、それが素敵なものだと教えてくれ!とは思うのですが、さてはてその幸せのカタチとはどこにあるのやら。言葉で教えられないのなら、せめて示してほしい。身近な大人たちでも、メディアでも構わない。もちろんポジティブ/ネガティブに偏らず、恋愛やセックスにも色んなカタチがあることを前提に。こんな時こそメディアの出番だと思うんですがね。
個人の在り方があってこそ、他者との在り方や家族との在り方に結びついていくことが分かれば、まずは個人の“生”と向き合うことが、“性”との向き合い方にも繋がり、ゆくゆくの幸せのカタチを見つける土台となるんじゃないかなと。前向きに生きるのと同じくらい、前向きに性を捉えることは大事だと思います。
叩かれるのは怖いけれど、まずは慎重に動ける人が動いていくしかなさそうです。。。
<学校教育に限界があるのか>
学校で語られる性教育を真に受けていると、いざ性行為という時に、コンドームを着けていてもエイズや性感染症に罹ったり、望まない妊娠をしたりするかもと考え、不安や罪悪感、危機感が拭えない。何とも言い難い虚しさや時間の無駄感など、少しずつ少しずつネガティブな感情が積もっていきます。それは、性行為を経験してから意外と積もっていたことに気づかされます。
性に対する考えは、見ているものが違うのか、大人と子どものすれ違いが随分と大きいように感じます。大人は汚い部分を知っているから子どもにそれを隠すように綺麗事ばかり言っているような、取り繕っている感じが好きではありませんでした。どちらかと言うと性については不安や悩みになりがちだったので、大人たちにはそこに寄り添って、酸いも甘いも語ってくれれば良かったのにと今更思います。しかし、それが出来ないのが学習指導要項に縛られてしまう学校教育なんでしょう。これ自体を変えるか、抜け道をつくるか、どこかで補習するか。そうでもしないと、今の学校教育内容だけでは到底足りません。
・「一方で性行動が活発な若者、消極的な若者というように、2極化が起こっている(北村先生)」
若者の性意識や性行動は二極化されていると言われていますが、その若者の周りに性をポジティブに捉えて語り教えてくれる人の存在の有無で分かれているのではないかなと。ポジティブに捉えていなくとも一緒に性を語れる人がいるだけで、学校の性教育やインターネット上の偏った性情報、性知識と向き合い直すことができます。また、実際の体験談などが身近にあるかどうかでも、その情報への向き合い方が変わってくるように思います。
恋愛やセックスは強制されるものではなく、本来はそれに対して個人がどう思おうが自由なものです。恋愛感情や性的欲求は湧いてくるようなもの。自分の中で気づいた感情や本能をどう受け止めて、どの行動を選択していくか。その感情、欲求や本能と上手く付き合っていく(コントロールする)ことが、自分や他者との関係性を築くためにも大切なことだと思っています。
二極化することは悪くないけれど、社会や環境を理由に“本当はこう行動したかったけど、この行動を選択するほかなかった”というような状況を作りたくないなぁ。後悔しないような受け皿がたくさんあればいいのだけれど。。
<日本思春期学会に参加した後のモヤモヤ>
思春期性教育を行う先生方の中にも、「え!?」と耳を疑うような発言をする方がいます。先生とて正しいとは限りません。物事が移り変わるときは大抵色んな意見が飛び交い荒れるものです。が、その中心にいるのは、多感で繊細な思春期の子どもたち。伝えたいことも大事だけれど、どう伝わっているのか子どもの立場から見直してほしいなと思った次第です。
マイノリティ中心の話をすべきというのではなく、色んな子たちがいるということを知って、話してほしい。近頃、多様性がキーワードのように性教育の中で語られるけれど、セクシュアル・マイノリティだけが多様性と結びついているようで違和感が湧いています。
よく聞くような言葉になってしまうけれど、当たり前を見直すことが必要なのではないでしょうか。
性教育だけでなく、メディアや日常の会話の中で頻繁に使われる言葉の中で、多様性が意識されていないと感じる言葉たちを少し挙げてみました。
・両親を語る
母子、父子、祖父母、義理、児童養護施設、障がい者、レズビアン、ゲイ…
>「夫婦揃っているのが普通だと思うなよ」という話。
・親/養育者との関係を語る
身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクト、親が刑務所にいる、親の育児能力が認められずに一緒に生活できない…
>「子どもは親に愛されているということ前提に話を進めないでくれ」という話。
・妊娠/出産を語る
体外受精、人工授精、代理母出産、無痛分娩、帝王切開、レイプによる妊娠や出産…
>「皆の両親が愛し合った?お腹痛めて産んでくれた?」という話。
少しでも「確かに」と気付いてくれる人がいれば幸いです。
まだまだ私にも知らないカタチがたくさんありますが、子どもたちに残酷な言葉をかけないような大人でありたいものです。
目指すは、日本の性教育改革!そのための歯車をたとえ小さくても、TENGAヘルスケアが1つ、2つと作り増やしていきたいな!
ではでは。
↓いつも大切なことに気付かせてくださる大好きな先生方。産婦人科医さん(秋元義弘先生、八田真理子先生、金子法子先生、山本希美先生)、僧侶さん(古川潤哉先生)、AV女優さん(今賀はるさん)、看護師さん(星野貴泰さん)、TENGAヘルスケア(中野)。多職種感すごい(笑)
↓2日目のランチョンセミナーのお弁当。そろそろサックサクの天ぷらが食べたい…な。